雨のない夏
もうずーっと雨が降らないので、芝生が枯れています。7月全体の雨量は0.6ミリだったそうです。もっともっと降らなかったら芝生に水を撒くのを禁止するような規則も発効しますが、まだそこまでには至っていません。断水もありません。世界中で変なお天気が続いていますね。モスクワなんか近郊の泥炭地帯が自然発火してひどいことになっているそうです。そうかと思えばかつて例を見ない洪水が起こってるところもあちこちあるし、南半球ではペンギンが凍死したり。。。気分は世紀末ですね。でも、まだまだカリユガはこれからです。どうなることやら楽しみに、いや、どう考えてもあんまり楽しくない結果になりそうですが、興味を持って観察し続けましょう。
今日のおやつ。これから一週間くらいのおやつにもなるのでしょうけれど、ブルーベリーとイチヂクの入ったお菓子です。甘味はお砂糖ではなくて濃縮果汁なので、かなり甘いけど後味があっさりしています。素朴そのものの味ですけど、おいしいです。 お菓子にはお茶がつきものですが、これは今日買ったカフェイン抜きの紅茶。でもあんまりおいしくないです。香りも風味も頼りなく、お白湯を飲むよりはエキサイティング、という程度です。トワイニングはイギリスの会社ですが、外国向けには安物を出すと聞いたことがあります。それはひどい、と思いますが、実際カナダには紅茶をちゃんとおいしく淹れるような文化は全然根付いていないので、上等のを出しても無駄、という理屈も理解できないわけではありません。カフェイン抜きの紅茶や緑茶はどうしても風味が落ちるので、工夫しておいしく飲もうと思います。 また失敗してしまった。。。固くて酸っぱい杏です。ちょっと触ってみたら柔らかいような気がしたのです。でも、全然だめでした。悲しい。。。一口かじってしまった残りは、刻んで煮込んでヨーグルトに入れようと思っています。 今読んでいる本です。騙して集めた子供たちに奴隷的な強制労働をさせているという真っ暗な背景のあるチョコレート産業について、アステカ帝国の時代から現代まで克明に辿っています。こういうのを読んでいると、物を食べるのが嫌になります。この世に生きてるのもうんざりするほどですが、それはおそらく自分の無力や偽善への嫌悪ややるせなさが原因なのでしょう。人間は薄汚い、あるいは身の毛もよだつほど汚いものですが、それは私たちが住んでいるこの世が本来そういう場所なのですから仕方がないのだと思います。そこに生まれてきた自分も例外ではありません。一応菜食だし、お酒も煙草もカフェインもほとんど、あるいは全く摂らないけど、人間の欲望が芯まで染みこんだようなチョコレートの味が私は結構好きだったりします。でも、こういうのを読むと気持ち悪くて食べたくなくなります。ホワイトチョコレートも同じです。でも、こういうのってチョコレートだけじゃなく、食べ物だけでもありません。 日本でも偽装表示とかいろいろ問題がありましたね。人間のやることはどこでも似たり寄ったりです。欲に動かされるという生き物の基本が同じだからです。限界を超えるほどの搾取の対象になっている人々も、状況が変われば他者に対して同じことをするでしょう。もうずーっと前のことですが、何かのアルバイトのときに商品に「地球に優しい」というシールを貼らされたことがあります。それは別に実際にそういう環境配慮型の商品だったからではなく、「これをつけといたほうが売れるからね」という理由によるものでした。 田舎に住んでいたので、子供の頃は結構農薬を浴びていました。農家の人たちはかなり無神経にシューシューとやっていました。近くを通っても、とりあえず臭くなければOK、という程度の危機感を持っていました。大規模な散布が行われる時期にはあらかじめ学校や公民館などから連絡があって、家にこもって窓を閉めておくように、と言われていました。妙に甘ったるい農薬の匂いは、窓を閉めていても隙間の多い古い家に入り込んできます。できるだけ息をひそめて待って、やがて匂いがなくなれば「もう大丈夫」と安直に考えていました。両親が作っていた子供だましのような小さな畑は、近所の農家の人の畑の隣にありました。もっと正確には、その畑に通じる広いあぜ道の横にありました。あぜ道には雑草が生えますが、それを刈るのを面倒臭がった近所の人は、枯葉剤を撒きました。枯葉剤は、うちの田舎では結構普通に使われていました。ベトナムで使われていたようなのと同じなのか違うのか、よく分かりませんが、そいうのを撒く農家の人もちゃんとした防護服など着てなくて、簡単なマスクを着けたり漬けなかったりして撒いていました。 脈絡もなくいろんなことを考えますが、子供が山で働くのは別に全然変なことではなく、普通でした。近所の男の子たちなどは、6年生くらいでトラックを運転していたりしました。ミカン山で収穫を運んだりしていたのです。これは別に手伝いをしていただけで、運転は違法ではありますが、誰も来ない自分たちの持ち山で事故も起こさずに運転していたのなら、それほど道義的な問題はないような気もします。私も8歳くらいから家でタバコ屋の手伝いなどしていたし、子供が家業を手伝って働くことは別に問題ではないと思います。むしろ手伝うほうが自然でいいと思うのですが、子供が奴隷みたいに働かされるのは全く別問題です。こういう問題は、別に全然珍しくはないというところが怖いです。子供たちを解放しよう、と言って善意で行動を起こしても、社会構造が変わらなければ問題が移動するだけ。子供たちだけじゃなくて、それは極端な貧困の中でシステマティックに搾取されている人々全体にあてはまるわけですが、典型的なワーキングプアである私も、フラクタルな視点で見れば同じだったりしますね、やっぱり。無力感への循環がこうして完成します。。。 何が言いたいのか分からなくなってきました。ご興味のある方はご一読ください。
by ammolitering3
| 2010-08-02 11:48
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